2016年6月14日火曜日

【シグナス前の交差点で、生れ変わりました】

去年の6月6日に地元 津幡町文化会館シグナスで、友達やそのまた友達12人が参加してくれて「自力整体ことりの庭」を立ち上げ活動をはじめました。ちょうど一年が過ぎました。

その一年前の4月に、私はシグナス前の交差点で赤信号で停車した直後に、飲酒運転の車にノーブレーキで追突され、脊髄損傷の大怪我となりました。
その時の事故証明書には、事故現場の欄に「シグナス前」と記載されています。

時速50キロで追突されたダメージは、意識はハッキリしていましたが相当な影響を心身ともに受けており、手術は免れたものの 事故後7カ月間 けっこう病みました。
当時の私を知る人は、口を揃えたように言います。

「あの時は、ハチカワさん。マジで やばかったよね~。」




車を運転する事が怖くなり、補償でもらった お気に入りの車にもほとんど乗らず。
病院や鍼灸・整体院へ電車やバスを乗り継ぎ 治療に通うこと 7か月間。


怒りました。  ……  怒鳴りました。  ‥‥  泣きました。  ‥‥  怯えました。 ‥‥  
不安になりました。 ‥‥  絶望しました。  ‥‥眠れぬ夜を過ごしました。‥‥



事故後半年が経ち、右手の薬指と小指に力が入らず段々動かし辛くなっていました。
主治医より、後遺症申請の手続きをするように勧められました。

医者や、保険会社はソロソロ示談の話しをと言ってきます。
家族や弁護士は、まだ治りきらない私の状態を心配して、治療をがんばって続けろと言います。



事故後7カ月間、買い物のレジカゴも持てず、掃除機すらかける事も 出来ない状態です。
私の苦しみ悩む姿を、目の当たりにする旦那や子供達も十分 辛かっただろうと思います。


カラダ以上に大きく心まで病んでしまった私は、恐怖と怒りと焦りで心をパンパンにしながら、シグナス前の事故現場を横目で見ながら 治療に通い続けました。
そして治療の合間に時々、公民館でやっていた自力整体の教室に参加したりしていました。


治りきらないカラダの痛みと、いろいろなプレシャーで
「死にたい。でも家族がいるから、死ねない。」とドンドン深みにはまっていきました。


事故から7か月経った10月の自力整体教室で【経絡呼吸法】という全身に気を巡らせて、生命エネルギーを高める呼吸法を行った時です。

頸髄を損傷し、首も腕も背中も腰も‥‥背骨の全部が冷たく硬くなっていたのが、頭のてっぺん百会のツボからエネルギーを取り入れるイメージで行う深い呼吸で、首・肩・腕・背中・腰・足へと温かな何かが流れ出すのが、ハッキリとわかりました。


‥‥後遺症申請なんてどうでもいい。‥‥リハビリもう止めよう。‥‥治らなくっていい。‥‥
心地よい大好きな自力整体だけ毎日していこう。‥‥


その後、自力整体三昧の日々を送っているうちに次第に心とカラダは整いはじめ、いつしか動きの悪かった右手の薬指と小指は、ちゃんと何不自由なく元通りに治ってしまいました。



交通事故は、48年生きてきた自分の生き方を、見直す機会を与えてくれました。

交通事故現場のシグナス前交差点は、怖い場所ではなくなりました。

【頑張る生き方から、ギアを一段シフトダウンさせ、ゆっくり楽しみながら生きる脱力人生へ。】

シグナス前交差点は、私のこれから50代・60代・70代‥‥
進むべき方向 ・ 生き方を大きく進路変更する原点の場所となりました。



4人の子供達が巣立ち、子育てを無事終了した50前。


私は、シグナス前の交差点で第2の人生を歩むべく 生れ変わりました。


あなたは どんな人生を歩んで来ましたか?

あなたは今 幸せだと感じていますか?

過去の一瞬 一瞬の積み重ねが、今の状況をつくりだしているとしたら

あなたは これから先 どんな人生を歩んで 生きたいですか?

イメージしましょう。
あなたの望む方向に意識を向けて

未来には、今のあなたの頭の中に
想い描く状況が 寸分たりとも狂わずに 

あなたを 待っているのですから。

《自力整体ことりの庭》公式サイト
http://jirikiseitai-kanazawa.jimdo.com/






2 件のコメント:

  1. 同じような自己に合う人は、少なからず居ると思いますが(私も追突された事あります)、その後の道筋が素晴らしいですね✨

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  2. あとから事故を振り返れば『ようこそ私の車にぶつかって来てくれた』と、
    事故を引き寄せたのは 自分自身であったと。
    事故の相手の方に一番 感謝しています。

    すべてが、すべて偶然ではなく必然であるし、
    気づけたことが、喜びです。

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